「モノ視の瞬間に命は奪われる」
祝町学童クラブ支援員のみなさま
ヒューマンエラーは誰にもある。どのような場面でも起こる。静岡県牧之原市で3歳の女の子が幼稚園送迎バス内で心肺停止状態で9月5日発見された。昨夏の中間市での同類の熱射病事故で5歳の男の子の命が奪われたことが昨日のように思い出す。どちらの事故も人間のミスで子どもが犠牲となった。事故ではなく事件と言った方がよいかもしれない。
政府は中間市の事件後の昨年8月に安全対策に関する乗降時の人数確認に関する通知を出した。各園は川崎幼稚園(牧之原市)を含めて保護者にもお知らせをしたと信じる。
「悲惨な事故、女児がかわいそう」という市民反応と同時にメディアでは一斉にヒューマンエラー報道がなされた。登園確認のルールが形骸化している、職員の安全意識が希薄だ、慢性的な人手不足だ、防止するための規制が必要だ、送迎バス内にセンサー搭載の義務化などなど問題点と今後の対策が噴出している。
このような情報番組のコメンテーターの声は頷ける。確かにそうだと思う。運営者の一端に居る立場から判断すると、先生を増やす、運転者を増やす、センサー搭載、職員の再教育などコストと時間がかかるものばかりだ。安全マニュアルを見直し、職員の意識を高め、員数を増やす、保護者にも協力を求める。投資をそこにする経営(マネージメント)能力と良心が求められていることは確かだ。
がしかし、それで解決するかなと思う。子どもの未来が数時間かけて奪われた。いや奪ったのだ。喉がカラカラとなり、一滴の水も残されていない現場があった。苦しみ、悶えながら意識を失い命が奪われた。これは事件であり、人間が人間の命を奪うという戦争だ。しかも無抵抗の者への戦争を起こしたのだ。震災でも災害でもない。強者である人間の手によって弱者の人間の命を奪ったのだ。
学童クラブ5周年記念ビデオのパッケージにミッションステートメントを装し「楽しく『いのち』を学ぶ良質な空間を目指」す祝町学童クラブの生き方をはっきりと示した。
満員電車の中で女性をモノ化した者は犯罪を犯す。弱者をモノ視した時に人間は犯罪に走る。女性を泥酔させた性的暴行は犯罪ではなく暴力を超えた戦争だ。モノでないのにモノとして扱ったときに事件と戦争が発生する。
子どもはモノではない。物質ではない。一個の命ある人間だ。いのちは肉体であると同時に魂を持ついのちでもある。
いのちを学ぶことは命を尊重することだ。いのちに敬意を持つことだ。この思潮がよどみなく流れ続けている職場、社会であるかが問われている。
2022年9月10日
祝町学童クラブ 運営委員長 内山賢次
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